開局33周年記念熊本移動運用記

99/07/01
                JA6GRC
             also JF1RWZ
                岡村 潤一

         もくじ

      第一章.いざ熊本へ
      第二章.ラウンドQSO
      第三章.アイボールQSO
           伊津野さんの巻
           山田さんの巻
      第四章.移動サービス一日目
           下益城豊野村の巻
           天草郡栖本町の巻
           天草郡姫戸町の巻
           宇土郡不知火町の巻
      第五章.移動サービス二日目
           球磨群深田村の巻
           球磨群須恵村の巻
           球磨群水上村の巻
           球磨群山江村の巻
      第六章.鰻と温泉
      第七章.移動サービス三日目
           八代郡東陽村の巻
      第八章.最後の夜
      第九章.各局へ
          あとがき

    第一章 いざ熊本へ

     熊本地方の天候は雨、「天候調査」が日本エアシステム353便熊本行出発ロビーの案内表示板に出ている。

    羽田空港の天候は曇り、やや風が強い。

     6月24日今日は待ちに待った熊本への出発の日だ。朝4時に起床、我が家の愛犬「トト」の散歩をし、ばたばたと最後の準備をして家を飛び出してきたのでまだ朝食を取っていなかった。出発ロビーでサンドイッチをつまみコーヒを啜りながら出発案内を待った。

     無線機やアンテナのポールにするための釣竿は予め宅配便で送っておいたが、固定で運用するための電源を送り忘れていたことを発送後に気が付いた。

     この電源の他にもあれもやりたいこれもと欲が出て、デップメータやアンテナの材料など詰め込んで持ってきたため手荷物が多くなり、田舎への土産としての草加煎餅は出発間際に購入した。

     熊本空港へは親父が迎えに来てくれているはずだ、4月に法事で帰省し、2ケ月ぶりであるが、親父もお袋もこの日を待っていてくれているはずである。

    「視界不良の場合は福岡空港へ引き返す場合があります」との条件付きフライトで定刻の9時50分羽田を飛立った。

     当たり前の事だが上空は晴れである。途中何事もなく飛行し、11時30分「最終着陸の態勢に入ります」とのアナウンスがあり飛行機は徐々に高度を下げて行った。雲の中をよたよたと進んでいたが、急にエンジンを全開して上昇。いやな雰囲気が機内に漂う。

     機長より「視界不良のため天候の回復を待ちます」とのアナウンスがありその40分後「天候回復の見込みがないので福岡に向けて飛行中」とのアナウンスがあった。何とか降りるだろうと思っていたが甘かった。親父もこの雨の中迎えにきてくれていたのだが、、、後で聞いてみると、駐車場から空港ロビーまで強風で傘がさせず、ずぶ濡れになってしまっていたとの事である。12時20分福岡空港へ到着福岡は小雨であった。

     地上係員より振り替え輸送の切符を貰い博多駅へ向かった。地下鉄で2駅であるが、手荷物2つと土産物を抱えて小走りに急ぐ。

     博多駅では12時55分発「特急有明19号」に飛び乗った。とにかくこれで熊本へは行ける。ほっとしたら腹が減ってきた。列車は5両編成で各車両の真ん中にデッキがある変った構造をしている。

    車内の案内を見ても食堂車は付いていなかった。

     車内販売が来たので「弁当はありませんか」と聞くと「次の鳥栖(とす)駅で仕入れるから待っていて」との返事である。鳥栖駅に13時20分に到着。

     鳥栖駅は鹿児島本線と長崎本線の分岐駅だ、JR九州の青や黄色のカラフルな車両が停車していた。

    次の駅久留米を通過、河川は土色の濁流が轟々と流れている。

    a1 弁当を買ったのは私だけのようで、おばさんは一つだけ弁当の入ったビニール袋を持ってきてくれた。

    駅弁は何と言っても幕の内弁当だ、和食のフルコースとは言わないまでも色々な味が楽しめる。 

    定番のエビはあまり期待してはいけないが、コブの煮付け、輪切りのレンコン、酢の物や味の染み込んだ塩サバが大好物だ。最後に甘く煮込んだ豆を食べながらお茶を啜る。

     列車は長洲駅へ到着した。耳覚えのある駅名だ、そうだ小学校の就学旅行で雲仙、長崎に行ったがその時のフェリーの乗り場が長洲であった。

     地図を見ながらフェリー乗り場を確認する、と荒尾市の地名が飛び込んで来た。荒尾は植田さんの故郷であり、植田さんも故郷からの移動運用の希望を持っておられ、私の今回の計画を知り期待して頂いている。

     列車は熊本市へと近づいた。「大雨警報のため徐行します」との車内アナウンスがあり、何とちょうど通過した駅は「雨はふるふる人馬はぬれる」と歌われた「田原坂駅」であった。出来過ぎたストーリだが本当なのである。

     熊本駅に下立つ、隣りのホームに日奈久行きの普通列車が待っておりこれに乗り換え川尻、宇土、の各駅に停車後松橋駅に着いた。

     松橋駅には「雨ん中大変だったネ」と親父が迎えにきてくれていた。

    第二章 ラウンドQSO

     予定より約3時間半遅れて15時30分我が家へ到着、福岡へ引き返したわりにはその後のリカバリーはスムーズに行った方だ。さっそく親父に手伝ってもらってアンテナを設営した。常置場所用にはG5RVを設営する。

     何時か使ってみたいと思っていたアンテナであり先日のJA1ZI小池さんの送別記念移動運用で技術班が実験されていたアンテナだ。片側のエレメントが約15m全長約30mのワイヤーエレメントに約10mのハシコフィーダで給電する。ハシゴフィーダの下にチューナが必要となるが、此処にAH4を設置しチューニングを取った。ワンタッチで3.5Mから50Mまでワークバンドを含めて利用出来る素晴らしいアンテナだ。アンテナの設営を終わりすぐQSOしたいのを我慢しモービル用の準備に取り掛かった。

     用意して来た電源コードをバッテリーに接続し助手席のドアの隙間から引き込む。

     親父の車はハッチバック式でありトランクグリッド式に比べてアンテナ基台の調整が複雑で、時間が掛かった。

     風呂に入り晩飯もそこそこにシャックに入り第一声のCQを出したのは20時00であった。一番に応答して頂いたのはJK4VUC民さんだ

    6エリア3エリアと応答を頂き5局目に応答頂いたのは我がクラブの編集長JH1MKU早武さんだ。

     会社から帰ってさっそく声を掛けて頂いた様子だ。

    本日の熊本入りのアクシデントを報告し、遅れたが無事到着した旨を報告した。早武さんからは即「岡村さん快調にQRV速報」と題した電子メールを無線仲間に発信して頂きそのメールの写しを受信した。

     21時24分JQ2PYB豊野村出身の吉田さんがQRPで声を掛けてくれた。4月の法事の時に松橋にて運用した時から親しくして頂いている。

    土曜日に豊野村の萩尾の溜め池から運用するので必ず声を掛けてとお願いした。

    22時20分まで7Mで快調に呼ばれ続け一段落したので21Mを覗いてみると1エリアが開けていた。21.160でCQを出すとさっそく早武さんからコールを頂いた。160は早武さんの規定周波数であり、私も見習って7.060や21.160を好んで利用している。早武さんに続けて7L3KJV星川さんからブレーク、交信成立を喜び合っているとJA1ZI小池さんからブレークを頂いた。会社のクラブメンバーでラウンドQSOが始まった。  

    小池さんより「7Mに降りて見ようヨ」と提案があり先ほどまで使っていた7.060をチェック!運良く空いておりQRMもなく30分楽しいラウンドQSOが出来た。

    a2あまりのコンデションの良さに他のメンバーにも参加願おうと、早武さんから他メンバーへ電話を入れて頂いたが不在の様子で残念。

     松橋の交信状況は「2時間で80局のペースです」と話しをすると小池OMからちょうど良いペースとのコメントを頂いた。

     クラブ部室の雨漏りを修理した話題や、北海道移動の岡本さんの話題が出てさながら毎週日曜日夜に2mで開催されるクラブのオンエアミーティングのHF版となっていた。

     初日でもありクラブの皆さんにファイナルを送った後は引っ込むつもりであったが、その後も23時42分まで快調に呼ばれ続け松橋町常置場所の初日の運用を終わった。

    第三章 アイボールQSO

     2日目6月25日金曜日5時に起床、7.060にてCQを出した。

    1局目JI1ARZ岩田さんとは6分間のQSOであるが2局目のスタンバイをするとパイルとなり朝の5時から「サフィックスのみずらしてお送り下さい」を始めてしまった。九州のローカル各局は何事かと思ったに違いない。お騒がせしました各局。

     11局目に小池さんと交信。13局目のJL1IHKさんからは松橋駅は不知火町にありますネとか竹崎城跡の話しとか松橋町に詳しい。

     7時02分朝飯ブレークまでに54局と交信。

    朝食を終わり、雨が小ぶりになっていたので仮設していたアンテナをあと2m上に持ち上げる事にした。メインのポールは今回の移動用に購入した9mの釣竿だが、発売元に聞くとこれはアマ無線用に発売しているとの事で釣には使えない釣竿だ。剪定用脚立4mの上部にこの釣竿を結わえつけ約11mの地上高を確保しビームが関東、北海道方面に出るように北西から南東方向へワイヤーエレメントを張り直した。

     アンテナの再設営を完了しシャックへ戻り7MをワッチするとJA6ARA千丁の橋本さんの声が聞こえた。3.5MにQSY頂き「今年になって一度

    も声を聞かず心配していましたヨ」と話し掛け、近況をお聞きすると21Mのアンテナが故障中で最近は出られなかったとの事である。

    また今日は熊本市内まで遠征に行くとの事、この雨の中だがドーム式のコートがありテニスが出来るとの事であった。

     10時より11時40分まで21MにてCQを出すと北海道から沖縄まで幅広く開けており各地より声が掛かった。JH6IFF熊本市の甲斐さんからも声をかけて頂く。

     11時39分そろそろQRTしようと考えていた時に「こちらは7K2XEA」第一章に書いた荒尾出身の植田さんから声を掛けて頂いた。植田さん御自身も移動が好きでよく移動サービスをされるが、私の移動もよく追いかけて頂いている。

    週末の移動の激励を頂き、期待して頂いている事に感謝必ず移動先で交信しようと約束した。

    午後からのアイボールに備えてモービル運用の準備をした。昨日設置したモービル基台にアンテナを取付けSWRを測定した。7M、14M、18M、21Mのコイルを付けてテストしたが、私の車より若干低い周波数にSWR最低点が出ている、このまま利用しても問題はなさそうである。 

     昼飯後最初の訪問先JA6HKC伊津野さん宅へ向けて出発した。

      (1)伊津野さんアイボールの巻

       伊津野さんは退職され阿蘇外輪山の一角御船町の山、海抜三百mにシャックを作られている。

    御船インターで高速を下りてまず携帯電話を入れる。「良く来ましたね待っていたよ」との返事、21Mで連絡周波数を設定し道案内をお願いした。

     狭い山道をゆっくりと登って行った。途中崖崩れしそうな所が数箇所あり道路に石ころが転がっていた。上り詰めた峠に立派なアンテナが見えた。

    a3

    入り口が狭いのでちょっと先でUターンしてとの事だったので、路肩に車頭を突っ込んだが、これが間違いの元であった。この雨で路肩の土が緩み前輪駆動の車は動かなくなってしまった。

    「伊津野さんタスケテー」と無線で救出をお願いし傘をさして出てきた伊津野さんと初対面だ。

    挨拶もそこそこに、スコップで土を掘ったり一輪車で砂利を入れたりと努力するも空しく車輪は空回りするばかりであった。

     後で滑車を使って引っ張ろうとゆう事にして、まずはシャックにてお茶をごちそうになった。かわいいシャムネコが私の膝の上にきて座る。

     一息つきシャックを案内して頂いたがなんと4つの建て屋がありそれぞれ独立したタワーが建っていた。一番高い所の建て屋は客用との事で、トイレも付いており女性客も安心してコンテスト等に参加出来るよう配慮したとの事である。奇麗な部屋だ。

    28M5エレスタックの実験をしたいとかで2機の5エレ八木アンテナが組み立てられてあった。

    自慢のインピーダンスアナライザーは残念ながら故障していたが、これが動けばスミスチャートを画面に表示してくれる優れものだ。

     路肩にのめり込んだ車は伊津野さんの知り合いのオートバイ屋さんに来て頂き軽トラックで引っ張って貰って何とか脱出した。

     伊津野さんにお世話になりっぱなしでした。ありがとう伊津野さん。

    (2)山田さんアイボールの巻

       次の訪問先はJA6DRE熊本市の山田さんだ。伊津野さん宅から山田さんへ電話を入れ、21Mの連絡周波数を設定、16時すぎに山を下り始めた。

     山田さんは私の旧友JA6FQC西島さん(故人)の先輩で、隣り町小川のJA6DSI塩崎先輩の旧友との事で14M、21Mで良くお相手頂いていた。

    山田さんは各種ノイズ対策、TVI対策を研究されており、最近はファラデーシールドケーブルを開発されて希望者に頒布されている。私にはちょっと手か届かない高価なケーブルであるが最近は廉価版も開発されたとの事である。

    「14,21,28M用のトライバンダーで7MHzを受信してもSメータの針か振らないョ」との話しを聞いていたが本当かどうか見せて欲しいとお願いした。7Mのダイポールにするとバンド中が9+となっておりコンデションは何時もと変らない状態の中、ファラデーシールドケーブルを利用したトライバンダーで7Mを受信しても音は聞こえてくるがバンド中をダイヤルをぐるぐる回してもSメータが振らない。本当だ!通常の同軸ケーブルが、いかにケーブルから電波を拾っているかが分かる。

     山田さんによれば逆もまた真なりで、送信時もケーブルからの漏れ電波によりTVIを引き起こすし、アンテナ本来の特性が引き出せない事になる。

     最近フアラデーシールドを使うと電波が強くなるような感じがするとのコメントを貰うがこれはまだ究明出来ていない。日本の住宅事情の中で対地との浮遊容量が左右バランスが取れていない状況の中で比較した時に、一般ケーブルとこのケーブルの違いでアンテナ自信の特性に差が出ているのではないだろうかと予想される事かナーとの話しであった。

    a4

     庭に出てアンテナを見せて頂く事にした。

     アースは銅板で長く取られており、地中にはドラム缶式アースを埋め込んであるとの事だ。記念に写真を撮らせて頂き遅くならない内においとまする事にした。山田さんにも大変お世話になりました。

     熊本市内から松橋の自宅までは約30分で到着。2軒の訪問で少し疲れが出て来たのか、頭が少し重い。風呂に入り晩飯は馬刺しにおろしニンニクをたっぷり付けて食べた。

     21時より21.160でCQを出すとJA1LHH古澤さん、JA1CKE星野OM、JR1MXX高橋さん、JH1MKU早武さん、7L3KJV

    星川さんと会社のクラブメンバーから続けてブレークを頂き。私も含めて6局によるラウンドQSOが始まった。

     明日から予定している町村移動運用サービスについて、皆さんから「雨の中無理をせずに安全第一で頑張って」と励ましの言葉を頂いた。

     昨日に続き約35分のYVTミーティングを終わると、待っていて頂いたようでJE1WYU久保内さんからお声がけ頂いた。ATACメンバーであり勤務先は本社との事を筑波山へ移動した時に聞いていた。

    メールしますヨと約束していたが、私の勤務場所移転等でバタバタしていて連絡をしていなかった。

    今回の移動計画が転送されて伝わり、出発間際に激励のメールを頂いていた久保内さんだ。お声がけ有り難う。10分ほど話しをし移動先での再開を約束してファイナルを送った。

    その後数局と交信し明日の移動に備えて22時床についた。

    第四章 移動サービス1日目

    (1)豊野村の巻

       下益城郡豊野村は我が故郷松橋町に隣接した小さな盆地である。村の中心部を流れる浜戸川・小熊野川の周囲には豊穣な土地が広がる面積31ku、人口5千人の村だ。

     目覚ましは4時にセットしておいたが目が覚めたのは3時半であった。昨日の生ニンニクおろしたっぷりの馬刺しが効いた様子で頭はすっきりしていた。

     出発の準備をしていると親父が起きてきて「手伝おうか」と言ってくれた。助手席に無線機とパソコンを置く台が欲しいと頼むと発泡スチロールの箱を探してきてくれた。助手席に置いてみると丁度良いし、中には小物が仕舞えるので便利だ。有り難う親父さん。お袋も起きてきて見送ってくれ4時すぎに出発した。

    朝食としてサンドイッチと冷たい緑茶を買い国道3号線から国道218号線へ折れる。豊野の交差点を過ぎると少し上り坂になるがこの左手に目的地萩尾の溜め池があるはずだ。真っ暗で雨が降り続けている。

    道路が広くなった所がありお寺があった。ここでしばらく夜が明けるのを待つ事にした。

     ザーッと雨脚が早くなる。車は時々通るがヘッドライトが暗闇にすぐ消える。心細くなり、いっそのことこのまま引き返そうかとも思ったが、豊野村から会いましょうと約束したJQ2PYB吉田さんを思い出す。何とか豊野村だけでも運用したいと考え、気を静めるために煙草に火をつけた。

    九州は夜が明けるのが遅い。4時45分少し明るさが感じられるようになったので溜め池に入る道を探す事にした。国道から入る支線を試しに入ってみたが何れも違うようだ。豊野の交差点へ引き返し24時間営業の店で道を聞いた。

    教わった道を行くと見覚えのある堤防が見えてきた。

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     萩尾の溜め池は松橋町と豊野村にまたがる周囲4kmに及ぶ農業用水用の人工溜池であり、最大水深10m、貯水量は91万立方メートルである。隣接する2つの池「鐙上堤」、「鐙中堤」と連なっており、合わせると農業用溜池としては西日本最大と言われている。

     池は連日の大雨で満々と水を貯えていた。水色はそれほど濁ってはいない。

     先客がいた。自転車で来たカッパを着た少年が釣竿を持っている。昔遠足で行った池はバス釣りのメッカとなっていた。少年と挨拶を交わしアンテナの設営をしていると続々とRV車が現れた。場違いな私を見ながら彼らは釣の支度をしていた。

     早朝であるので7MHzを利用することとしDPを張り、5時15分にワッチを開始した。

    土曜日でもありバンドは混雑しているが伝搬状況は良さそうだ。

     2局目からパイルとなったが、6エリアの近距離が20分ほど続きATACメンバーであるJA1KGY深谷の田島さんから応答を頂いた。その直後7K2XEA植田さんから声が掛かる。関東地方がオープンして来た。

     豊野村運用開始1時間後32局目にJQ2PYB吉田さんから声が掛かった「待ってましたヨ吉田さん」「無理せずに頑張ってネ岡村さん」。パイルの中短い会話だが心が和む。クラブメンバーでは古澤さん早武さんから声が掛かり朝早くから豊野村移動を探して頂いた事が分かる。

     7時を回りコンデションが変わってきたのか、パイルも収まってきた。雨も小降りとなったので7時10分に豊野村撤収を開始した。

    (2)天草郡栖本町の巻

      豊野村から天草栖本町までは地図では近そうに見えるが良く見るとリアス式海岸にそった道であり時間が掛かりそうだ。早めに移動を開始することにした。

    モービル移動用に14Mと18Mのアンテナをセットし、宇土半島南側の道路を走った。今日の最後に運用する予定の不知火温泉道の駅を見ながら最近整備された国道266号線道を走る。

    三角町から天草へ入るが天草五橋の1番目の橋「天門橋」を通過。

    モービルには14Mでゆっくりとラグチューしている1エリアの局が聞こえているのでバンドはオープンしているはずだ。「YVTメンバー聞いていませんか」と声を出してみたが誰からも応答はなかった。先を急ごう、思った以上に時間が掛かりそうだ。

    a6

     二号橋「大矢野橋」を渡り松島町に入った。そのまま266号線を姫戸方向へ左折、国道とは名ばかりの所々は農家の庭先を通る道路だ。

     龍が丘町ではショートカット出来るはずの大道トンネルが工事中で通れず大きく海岸線へと迂回した。

    「健康の里栖本町」の看板を見たのは10時を20分回っていた。豊野村より3時間も掛かってしまった事になる。

    栖本町は、西暦1017年、菊池氏一族が栖本城主となり、天草の政治文化の中心として繁栄した。町の東南部に天草最高峰の倉岳山系が連なり、その中央を天草屈指の長流・河内川が流れ、周囲に水田が広がっている。温暖な気候を生かした農業が盛んで、インゲン、ミニトマト、の他ポンカン、デコポンなどの柑橘類が取れる。

    西側の半島柳田港付近で運用場所を探したが適当な所がなく、浜の港の桟橋にてアンテナの設営をした。

     栖本町は特別なサービスとしてコールサインも変えて電信で出る計画を立てていた。

     7.009MHzで「VVV DE JF1RWZ」と電信を叩くが誰も応答しない。21Mでも電信を打ったが誰も応答しない。おかしいなと思い21.160のSSBを聞くとJA1CKE星野OMの声が聞こえて来た。「なんだ此処で待ってくれたのか」。計画とストーリが変ってしまうがまあいいか、このままSSBでサービスすることにした。

     星野OM、木村さん、星川さん、菊池さん、植田さん、早武さんと仲間から次々と声が掛かった。皆さん私が到着するのを待っていてくれたのだ。皆さん有り難う。要望があり電信のサービスした後CQを出した。

    11時30分まで運用し雨が小降りになったのを見計らって次の場所姫戸町へ移動のために撤収する事にした。

       

    (3)天草郡姫戸町の巻

       栖本町で「撤収します」のアナウンスをすると星野OMから移動計画の問い合わせがあり13時頃姫戸到着の予定とお知らせした。

     朝、豊野村でサンドイッチを食べたっきりであったので腹が減った。弁当屋を探したが人口3千人の町であり店が少ない。途中龍ヶ岳中学校前の店で弁当を売っているのを見つけやっと昼飯にありつけた。

    姫戸町は不知火海という波静かな漁場をもち、温暖な気候を利用して柑橘類栽培も盛んに行われている。「ワタリガニ」や「ポンカン」は姫戸町を代表する産物である。白獄森林公園、諏訪公園一帯を東天草リゾート基地に向け整備中との事、人口3千7百人の町であるが、明日移動する予定の球磨郡水上村と姉妹都市を結んでいるとのことだ。

     姫戸町には12時40分に到着した。

    姫戸公園での運用を予定していたが、行ってみると駐車場は狭く山の散策型の公園でありロケーションも良くない。公園から少し戻った所の姫戸港を見

    下ろす道路の縁にアンテナを設営した。

     21MをワッチしてみるとSメータで6程度のノイズがバンド中に出ている。良く見ると近くに高圧電線が通っておりこの雨で何処かの碍子から出ているノイズのようだ。決断は早かった。すぐ撤収し別の場所を探した。姫戸でも港の桟橋で運用することにした。

    アンテナの設営を終わり、助手席に親父に探してもらったハッポウスチロールの箱を設置、パソコンを立ち上げメモ帳を用意した。ボールペンが見つからない。何処に行ったんだろう21.165にて星野さんがCQを出してバンド確保してくれている。 星野さんから「もうそろそろ着くはずなんだが」、と独り言が聞こえてくる。ごった返した車の中を焦って探した。ない!ない!ない!

     しびれを切らした星野さんから「JA6GRC聞こえていたら応答下さい」とCALLがあった「ただ今設営準備中もう少しお待ち下さい」と送った。

    a7

    (OMあの時はボールペンを必死に探していたのですヨ。筆記用具がないとパイルアップの対応は絶対に出来ませんので。HI)

     助手席の足元の敷物の下に隠れていたボールペンをやっと見つけてスタンバイ完了。星野OMにバンド確保のお礼含めて信号レポートを送ったのは13時42分であった。

    星野OMから「今夜は府中で送別会があり夜のミーティングには出られないので宜しく」との連絡を受けた。松橋町と関東のYVTクラブメンバー間で毎夜のオンエアミーティングが定例化しつつあった。

    OMへファイナルを送り終わるとパイルアップが始まった。21Mは3エリアから7エリアまで広くオープンしていたが、1分1局ベースのパイルアップが続いたが、14時を過ぎたあたりで急に静かになった。コンデションが急変したようだ。場所替えやポールペンを探した時間がもったいなかった。しかたなく7Mへ下りて暫らく運用し、14時30分再び21Mへ戻るもコンデションの回復がなく「姫戸撤収します」を送った。

    (4)宇土郡不知火町の巻

       不知火町は、旧暦の8月1日未明に、沖合いに明滅する神秘の火「不知火」を観望することが出来る人口9千9百人の町だ。

    ”今から千数百年前、景行天皇が九州巡幸のおり、暗闇の八代海上で天皇を導き、無事火の国の海岸へお誘いした怪火がはじまりで、以来この主知らずの火を「不知火」と呼ぶようになった。”と日本書紀に書かれている。「ロマンの火とフルーツの里」不知火町に到着したのは16時であった。

     不知火温泉道の駅の駐車場は広い。雨がザアザア降りになっているので設営予定の場所で車をとめて小降りになるのを待った。今日の4回目の移動運用であり雨の中のアンテナ設営もだいぶ慣れてきた。

    21Mのコンデイョンは回復していた。21.158で16時22分CQを出した。2分に1局のペースで交信が進み、JH1MKU/1早武さんが八王子から「お買い物モービル」で声を掛けてくれた。

    16時46分JQ2PYB/2吉田さんだ、吉田さんも今回は移動先からである。豊野村と不知火温泉の2ケ所で交信出来て良かったと喜びのメッセージを交換した。

     星川さん、菊池さん、植田さんと仲間からも声が掛かり約50局と交信。

     不知火町で交信頂いた方には道の駅不知火のスタンプを押した熊本国体のQSL発行を約束し17時50分QRTし撤収した

     不知火温泉に入って帰る予定であったが、雨もひどく親父お袋も心配していると思い早めに帰る事にした。18時30分松橋町の自宅へ到着した。

    今日のミーティング

    風呂に入り夕食だ、親父から「成果はどうだった」と聞かれる。「仲間が移動先を追いかけてくれて交信出来て良かったヨ」、親父も喜んでくれた。雨のため外食の予定を中止し自宅での夕食である。

    21時17分21.160でCQを出すとJR1RJQ大江会長から声が掛かった。

    大江さんはG5RVを研究されており、それに刺激されて私も今回使ってみたが調子が良いと報告した。

     大江さんは本場からG5RVを取り寄せ中との事、着いたら資料を見せて下さいとお願いした。その後JR1MXX高橋さんから声が掛かり、久保内さんとも今日の移動のお礼をお互いに交換した。

    ミーティングの後も呼ばれ続け22時53分にQRTした。

    第五章 移動サービス2日目

    (5)球磨郡深田村の巻

       6月27日日曜日、今日も朝から雨。

    5時半起床6時出発と今日は少しゆっくりの出発だ。人吉市まで高速道路を使い人吉から国道33号線にて球磨盆地へ入った。

    a8 道路沿いの球磨川はこの連日の大雨で土色の濁流が轟々と流れている。

    深田村のほぼ中央に位置する高山からは日本の典型的農村風景である球磨盆地が一望出来る。また中世より一千年も栄えた勝福寺跡に残された毘沙門天立像や、臼太鼓踊り等の文化財が残っている人口2千人の村、深田村に到着したのは7時を少し過ぎていた。

     大雨注意報発令中のため安全な運用場所場所として村役場へ行った。

    小さな役場があり駐車場として整備はされていないが先日の事もあるので砂利が敷かれている場所に車を止めた。踏みたて君を使ってメインポールを設営したが、両端にポールを張る場所がない。、雨もかなりふっていたので9mの垂直アンテナとした。

    まずは7Mをワッチしたがコンデションは良くないようだ。星野OMへ電話を入れ7Mと14Mの周波数を確認。7.009にてJA1CKEのコールはQSBを伴いノイズすれすれで聞こえるが此方の信号は取れていないようすだ、7K2XEA植田さんも電信でコールしてきた。植田さんへも応答するが返事がない。しばらくトライしたが交信できず予備のバンドへQSYした。14MSSBで星野OMの信号が強く聞こえ14MでQSOが成立。植田さんとも引き続きQSO成立した。その後7MでCQを出すも応答がない。高速道路のサービスエリアで買ったピザトーストを食べながら暫らく待ったがコンデションが回復する傾向がなく、21Mが開けるにはもう少し時間が掛かりそうであったので早めに深田村を切り上げ須恵村に向かうことにした。

     

    (6)球磨郡須恵村の巻

       国道33号線をそのまま球磨盆地の奥の方へ進む。通行量は少なく走り安いが時々ワイパーを最高速にする必要があった。

    昨日の天草と違い道は真っ直ぐな所が多く予定より早く「ハジアイと安らぎの里」と書かれた須恵村に到着。後で須恵村役場の人に聞いてみたのだが、

     ハジアイ(実際はハジャーと発音)とはこの地方の方言で「地域連帯でお互いに助け合う」との意味を持っている。坊さんが辛い修行の時にお互いに助け合う時に使った言葉から来ているとの事であった。

    須恵村は稲作を中心にタバコ、プリンスメロン、アールスメロン、ホームランメロン、梨などが栽培されており、最近は黒毛和牛の「安福」「菊谷」の系統牛の生産も行っている人口千五百人の村だ。

     ここでも安全を考え村役場の駐車場をお借りすることにした。役場の表札の写真を撮っていると職員らしい方が見えたので当方の趣旨を説明し運用許可を貰った。

    a9 21MをワッチするとEスポが強烈に発生している様子だ。8時49分21.160でCQを出すといきなりものすごいパイルとなった

     1時間に70局のハイペースで呼ばれ、これは自己最高記録だ。植田さんが開始後5局目、久保内さんが7局目、星野さん11局目に声が掛かり皆さんすごいワッチ力だ。星川さん高橋さん早武さん古澤さんと大パイルの中クラブメンバーから声が掛かり嬉しい悲鳴を伝えた。10時半を過ぎてもパイルは収まる傾向にない。このままだと次の移動地へ行けなくなるため、終了予定の30分前からQRTの予定時刻を案内しながらの運用をし、待って頂いた方々には申し訳ないが後ろ髪を引かれる思いで11時丁度にQRTした。

    (7)球磨郡水上村の巻

      須恵村から国道33号線をさらに山奥へ向かって走った。日本一の桜の里水上村は球磨郡の再東端となり九州山脈を隔てて宮崎県との県境の村である。国定公園である九州中央山地の霊峰市房山1,722mの山麓では温泉郷とヤマメ釣りが楽しめ、市房神社の参道をおおう樹齢数百年の杉並木が素晴らしい、農業と林業が盛んな人口2千7百人の村だ。

     村の入り口に分校と公民館があった。公民館では踊りの発表会が開催されており村中の人が集まっている様子であった。

     この公民館の空き地にアンテナを設営しようと思ったが、間違って踊りのアンプに妨害電波が入ったら大変と思い、少し離れた分校の脇の道にアンテナを設営した。

     予定より早く着いたため、21.160にて待っているはずのメンバーは誰もいなかった。

     21.160は誰かが利用していたため、21.158にてCQを出した。3局目に「こちらはJP1LKG」と木村さんからお声掛け頂き、「YVTメンバーでは一番ですヨ」とお知らせした。木村さんと交信後すぐに星野OMにお声掛け頂き今後の運用予定について質問を頂いたが、「この後もう一ヶ所誰にも教えていない場所でQRVする予定です」と連絡した。

     植田さん高橋さん古澤さん小池さんがパイルの中声を掛けて頂いた。開けている範囲が限定されているようで須恵村の時のような物凄いパイルではない。

    それでも1時間50局のペースで呼ばれ続け、13時45分に水上村をQRTした。

    (8)球磨群 山江村の巻

       当初の計画では水上村から五木村へ行く予定であったが、この連日の大雨で危険と判断し五木村は中止とした。、昨夜晩酌をしながら親父に相談して決めた「九州自動車道路山江サービスエリアの山江村」から移動運用2日目の締めくくりとしてオンエアする事にしていた。

     今日の最後の運用は15時頃QRVする旨だけをアナウンスをしておき、運用場所は交信出来た時のお楽しみとしておいた。

     山江村に向かうために人吉市を走行していた。

    約3百メートルほど泥濘のあるがたがた道をスピードを落として通っていたが、「ガチャンガラガラ」といやな音がした。サイドミラーを覗くとモービルアンテナが倒れて引きずっている。

    慌てて路肩に駐車し六角レンチでアンテナ基台を締め直す。がたがた道でボルトが緩んでしまっていた。気を取り直して人吉市から高速に乗り山江サービスエリアに向かった。

     山江村は山の香り豊かなクリの里、山江栗を使った栗万十が有名な人口4千人の村だ。

    a10 深田村で朝食をとったきりで昼飯にありつけていなかったのでサービスエリアの食堂で九州ラーメンを頼んだ。九州ラーメンはトンコツスープであり、やわらかく煮込んだ豚の角煮が乗っており此も旨い。

     遅い昼食が済みサービスエリアを見渡すが、ダイポールを張れそうな場所がなかった。仕方なくメインポールのみの垂直アンテナを設営し21.160をワッチすると、星野OMと高橋さんのQSOが聞こえるが、QSBがあり不安定だ。高橋さんにブレークしたが、応答がない。

     しばらくして星野OMから「岡村さん聞こえますか、ダメなようでしたら14Mへ行きましょうか」との声が聞こえてきた。「今聞こえていますよコンデションが回復したみたいです」と応答し、信号レポートを交換した。

     木村さん、高橋さん、植田さん、早武さん、星川さんと次々と仲間から声が掛かる。皆さんこの周波数で待っていて頂いたようだ有り難う。

     16時30分まで運用し大雨注意報が出ているので2日目の移動も早めに引き上げる事にした。

    日曜日の夜

    毎週日曜日の夜8時から9時までは会社クラブのオンエアミーティングが2mで開催される。VHF帯であるため熊本からの参加は無理であるが、この時間帯の前後にクラブメンバーに会えるチャンスが多い。

    前回4月に運用した時もこの時間帯に多くのメンバーと交信が出来ていたので、計画書にもこの時間帯には必ず出ますと約束しておいた。

    今回は初日から毎夜クラブメンバーとの交信が出来ており、改めてメンバー指定のコールは必要がなかったが、やはりミーティングの前後に多くの仲間に声を掛けて頂いた。皆さん有り難う。

    第六章 鰻と温泉 

    28日月曜

     連日の大雨と、お袋の体調が今一つで当初予定していた別府への移動を中止た。、アイボールの予定であった村上さんには昨夜電話を入れて事情を説明した。「ゴメンナサイ」村上さん。

     今日は両親と鰻を食べに行き帰りに不知火温泉へ寄ってみることにした。

    「徳永」と言う鰻屋はこの界隈では有名な所だ。親父に言わせるとこの店は生きの良い鰻から捌くので午前中の鰻が良いそうだ。

    たっぷりと油の乗ったうなぎの蒲焼きがボリュームたっぷりと出てきた。

    ふっくらと焼きあがっており、これは美味い。

    肝吸いのあっさりした汁がこってりした蒲焼きにはよく合う。日本庭園のコイを見ながらの鰻は最高であった。

     満腹した3人は不知火温泉へと向かった。一昨日移動運用して温泉へ入らず帰ったこともありチャンスがあればと考えていた。

     月曜の昼間であり予想通り駐車場はガラガラだ、だが何かへんだ!親父が熊本弁で「今日は休みばい」とつぶやく。従業員に聞くと今日は大掃除のため休みとの事である、残念。

    a11a12しかたなく物産館へ行き一昨日運用した不知火移動運用分のQSLカードに不知火道の駅のスタンプを押させてもらった。50枚のカードにペッタンペッタンとスタンプを押していると、掃除のおばさんが寄ってきて「道の駅ば宣伝してくれるとネ」と話し掛けられる。「熊本国体と不知火道の駅をアマチュア無線を通じて宣伝しますヨ」と説明した。熊本国体の図柄をみて「フーン奇麗かね」と言ってくれた。温泉に入れなかったのは残念だが次の機会にとっておこう。

     そんなことで28日は昼飯の時間帯以外の一日を松橋常置場所より運用した。7M、21M、29Mにて221局と交信。仲間とは朝21Mで北海道幌加内町移動の岡本さん7L3ATQ/8と交信が出来た。

     JA1BUQ力石さんから「姫戸が欲しかったが残念、富合町が欲しい」とのメッセージを頂き、星野OMからは「東陽村が欲しい」とのメッセージを頂きそれぞれ検討しますと返事した。

    明日の午後は弟を訪問する予定があったので、悩んだあげく午前中に東陽村へ寄って小川町へ行く事にした。力石さんゴメンナサイ。

    第七章 間をおいての移動サービス3日目

    (9)八代郡東陽村の巻

      「東陽村石匠(せきしょう)館」は、日本で初めての石橋及び石工技術の資料館として平成6年7月にオープンした。

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    東陽村は、江戸時代から明治時代にかけて全国各地に数々の石橋(通潤橋、霊台橋、鹿児島県の西田橋、皇居の旧二重橋など)を造った石工集団「肥後種山石工」の発祥の地。石匠館では石橋づくりの基礎となる支保工の模型をはじめ、日本の眼鏡橋と世界のアーチ橋の写真展示。ファンタビューや体験コーナーでは、石橋が出来ていく工程をわかりやすく楽しく学ぶことが出来る。また特産品として、しょうがが有名な人口2千9百人の村だ。

     朝、星野さんへ電話を入れた「これから行くからね」「雨に気を付けてネ」7時30分に出発、親父は「氷川を渡って最初の信号を左に曲がってすぐ

    右に曲がって」と教えてくた。

     東陽村は近くにあった。近くに住んでいながら、生まれて始めて行く村、と思ったが、昔親父に連れられて氷川の上流にハエ(ハヤ)釣りに行った事があるが、東陽村だったのかもしれない。

     ハエ釣りの帰りに村の店でたらいに冷やしてあったラムネを飲んだことを思い出した。

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     役場へ寄って看板の写真を撮り、石匠館へ行った。入り口は道路工事をしていたが緑の森に包まれた石で出来た奇麗な建物はすぐに分かった。

    駐車場も独立したトイレの建て屋も石で出来ている。

    アンテナを張る前に館長さんへ挨拶に行った。

     アマチュア無線用の名刺を出して、「私は全国の町村をアマ無線を通じてPRしようと考えて回っています、是非この場所で無線をやらせて欲しい」とお願いした。館長からは快く承諾してくれ、石橋の作り方のポイントを説明してくれた。あとで館内を見せて頂く事とし、アンテナの設営に取り掛かった。 

     雨がしとしとと降っていたが緑の森の石垣で出来た小高い駐車場はロケーションとしては最高だ。

     CQを出そうとしてはたと忘れ物に気が付いた。お茶を買ってくるのを忘れたのだ。ペットポトルに入ったお茶は必需品である。博物館へ行き自動販売機はないかと聞くと館内は飲食禁止で置いていないとの事。道路の入り口に販売機があると教えてくれた。車は踏みたてくんを踏みつけアンテナの設営が完了していたので300mほど歩いて買ってきた。

     8時20分21Mにて運用を開始、8時26分JA1CKE星野さんがさっそく呼んでくれた。レポート交換で交信を成立し約束を果たせてほっとした。

     8時35分よりCQを出した。平日火曜日とあってパイルになるほどではない3エリアを中心に開けており1時間に30局のペースで交信が進む。P局と交信後21.169に移動したら急にパイルとなり時間40局ペースで進んだ。

    11時となり29MのFMを覗くと良く開けていたためもしやと思い50Mを聞くと関東が強烈に開けていた。50.250にてしばらく呼ばれ続けて

    いたが遠くから「ゴロゴロ」といやな音が聞こえてきた。雷が近づく前に撤収することにした。

     撤収を終わり少し時間があったので石匠館を見学することにした。入場料500円を払い入館するが本日の始めての入館者である。ゆっくりと館内を見学した。石を運ぶための滑車に石が繋がれておりその重さを体験することが出来る。また石橋を作る様子が立体アニメ映像で説明されており素人にも理解しやすい説明だ。

     今では当たり前のように通っている橋であるが、石橋は当時の人たちにとって、洪水にも流されない夢の架け橋であったのだ。館長にお礼を言って石匠館を後にした。

     弟と積もる話しをした後、自宅へ戻り7Mをワッチするも良く聞こえない。CQを出すも応答がない。変だナーと思いアンテナを覗きに行くとエレメントとTVフイーダの接続部の片側が断線しているのが見えた。慌ててメインマストを下ろし半田付けをした。再度ポールを上げたがこの時の結び方が悪かったのか夕食をとった後で見に行くとマストの下から2段目で折れていた。風がかなり強い。気を取り直して応急処置をした。

    第八章 最後の夜

     最後の夜だ、ビールを飲みながら親父お袋と話しをした。

    a16「今回は毎日雨だったが移動運用もほぼ予定通り出来、仲間からも毎日声を掛けて貰って良かったヨ」

    「無線と並行して皆から激励の電子メールがこんなに来ているんだよ」と毎日仲間から貰った電子メールの画面をみせた。

     親父もワープロを持っており、時々触っているみたいだ。自分の自叙伝を書くと意気込んでいる。

     私の今までの移動運用記を読んでくれて、なかなか面白い。その土地の歴史等を調査して盛り込むともっと良くなるのではないかとコメントを貰った。

    有り難う親父さん、親父もお袋も元気で頑張って欲しい。

    20時より最後の夜の運用

     やり残している事があった。庄和町のローカルさんと交信の約束をしていたが、まだ交信が出来ていない。

     熊谷さんは430のFMに出ておられ、花見運用や筑波山移動、大凧の写真を撮りに行ったりと親しく付き合って頂いている。 HFに出たいとの希望があり、私の移動計画に合せてアンテナを設営して頂いていた。「パイルになっていたら庄和町と叫んでくれ」と頼んでいたが、聞こえて来なかった。

    熊谷さんからは、「何時もワッチしているがパイルが収まるのを待っているとフェードアウトしていまう」とのメールを頂いていた。今夜が最後のチャンスだ、何とか交信したい。

     21Mで関東がオープンしていることを確認し、21.157の周波数を確認し電話を入れた。「熊谷さんからこっちを呼んで見て下さい」とお願し電話を切った。「JA6GRC聞こえますかこちらは7L3KQV」聞きなれた熊谷さんの声が聞こえた。「7L3KQVこちらはJA6GRC、聞こえていますよ熊谷さん」お互いに59の信号レポートを送り交信成立した。良かったこれで今回の目的の1つがクリアーできた。

    20時27分星野さん、21時17分早武さん、22時29分星川さんと仲間から最後の夜の交信が出来、早武さんと交信の時点で今回分1000局交信を達成した

    第九章 各局へ

     最終日6月30日朝6時50分より11時44分まで7Mを中心に運用。21M、18Mも覗くが今一つのコンデションだった。最後にJA6ADA西部中学の先輩である田中OMにお声掛け頂いた。田中さんの実家は松橋インターのすぐ近くとの事であり、次回はアイボールしましょうと約束し最後の交信として締めくくることが出来た。

     昼飯後松橋の撤収をした。

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    各局へ

     さきほど無線機等の荷物をまとめて埼玉の自宅へ発送しました。

     手元に残した物は今回の交信記録と、皆さんからの激励の電子メールが入ったパソコンだけです。

     この大事なデータが入ったパソコンだけは手で運びます。飛行機の中で交信記録と皆様の声援を再度読みながら帰ります。

     ずっと雨に降られ続けましたが、皮肉なもので、荷物を送り返した今はサンサンと夏の太陽が照りつけております。

     クラブ各局には各移動先を追いかけて頂き有り難うございました。星野OM 小池さん 高橋さん 早武さん 木村さん 古澤さん 星川さん、大江さん、小川さん、菊地さん、有り難う。

     クラブ以外では、力石さん、植田さん、久保内さん、JI1FBF西川さん、7N1CYB北村さん、7M2WKR屋田さん、JH7RXY黒坂さん、JQ1CJF千島さん他沢山の方に追いかけて頂き有り難うございました。

     皆様との約束を果たすべく大雨の中を車を走らせ小降りになるのを待ってのアンテナ設営と撤収も良い思い出となりました。

     待っていてくれる人がいたから出来た事です。皆さんに心からお礼申し上げます。

     また毎夜YVT各局から激励を頂きました。特に初日24日の7MHzを使ってのラウンドQSOは圧巻でしたネ。

     25日も21MでラウンドQSOが出来、さながら毎週日曜のオンエアミーディングを毎日実施して頂いた状況でした。大江会長とも26日夜繋がりました。

     7N1GPD小川さん、7L3KQV熊谷さんともで熊本から交信出来て大変嬉しく思っております。

     北陸へ転勤されたJH9DRX谷口さんもモービルからお声がけ頂き、北海道天売島移動の7L3ATQ/8岡本さんとも交信出来ましたが、月曜日の朝はまだ北海道におられたのですネ。

     JQ2PYB吉田さんとは思い出の場所豊野村と不知火町道の駅にて交信出来て嬉しく思っています。月曜日に両親を連れて再度不知火温泉を訪れましたが、定休日で風呂の掃除をするとか残念でした。

     JG6XSG村上さんへ、そんな訳で今回は別府行きを断念しました今度必ず行きますので勘弁して下さい。

     お蔭様で今回分として6月24日から30日午前までの累積交信数が1037局と、目標とした1000局交信を達成しました。

     各局の激励を頂きまして有り難うございました。
    重ねてお礼申し上げます。

                  99年6月30日

                  16時 松橋町にて

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     あとがき

    何度も同じ名前の人が登場して「いい加減にして」と言われそうですが、此処へ言ったときにこの方が呼んでくれた、これが大事なのです。お許し下さい。

    親父は73才お袋も72才でだいぶ歳をとったなと感じています。前回の法事や今回の33周年移動運用で帰省して良かったなと思っています。

    会社に入って30年、リフレッシュ休暇を利用しての移動運用でしたが、残りの10年を頑張って行こう、また今回やり残したことをなるべく早い機会に実現しようと考えております。

    長い紀行文を読んで頂き有り難うございました。

    感想などありましたら下記へお願します。

    jf1rwz@jarl.com


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