2001年熊本移動運用記

 

                    JA6GRC 岡村 潤一

第1章 五木の子守り歌

 熊本移動は今年で3年目であり、松橋町の故里を基地としての移動要領はだいぶ掴めてきた。
 21MHzの周波数を使い、夏場に発生しやすいスポラディクE電離層(略称Eスポ)を利用しての交信は、Eスポ発生の予測がつかず計画が立て難いが、発生してしまえばすぐ隣りで電波を出しているかの如く強力な信号で交信が出来る。
この不確実性や偶然を楽しむのもアマ無線の楽しみの一つだ。

 Eスポの発生頻度の高い6月から8月が移動のターゲットとなり、中でも6月末から7月上旬が最もEスポ発生頻度が高いと思っているが、熊本のその時期は大雨のシーズンでもあり山奥への移動は危険が伴う。
雨が降ると崖崩れの恐れがあり通行止めになる個所が多々あるのだ。

 今回は梅雨入り前を狙って6月の第1週に移動する事にし、4月上旬に特別割り引き航空券を購入した。

 6月が近づき具体的な移動計画を作ることになった。
 昨年は恐竜の島(天草郡御所浦町)が目玉であったが今年は何にしようか、インターネットで球磨郡の町村のホームページ(HP)を探してみると、五木村のHPに正調子守り歌があった。
「おどま盆ぎり盆ぎり盆からさきゃおらんと〜」
全国的に有名な五木の子守り歌である。今回はこの子守り歌の故里五木村を尋ねる事にした。
「おどま」とは熊本の方言であり「私は」の意味だ。
盆で子守りの年期が終わるので盆が早くくれば早く自分の家へ戻れると歌っている。

 さらに球磨郡の町や村のHPを訪ねてみた。
深田村小学校のHPに行くとパソコンクラブの皆さんから交流しましょうメール下さいとの案内が出ていた。

深田小学校パソコンクラブのみなさんへ

 私は下益城郡松橋町の出身で、今年で51才になるアマチュア無線家(おじさん)です。
 現在は埼玉県に住んでいますが年に一度熊本に帰って故郷の近くの町や村を訪問し無線の移動運用を楽しんでいます。
 車に無線機を積んで目的の場所へ行き、そこでアンテナを張って全国のアマチュア無線家と交信をします。

 今年は深田村と五木村に行こうと思い、インターネットで深田村を探したら皆さんの深田小学校のホームページが見つかり手紙を書いています。
 アマチュア無線とは、無線を利用して知らない人と話しをして友達になったり、自分の電波がどこまで届くかの実験をしたりする趣味です。

 昔は「趣味の大様」と言われていましたが、最近は携帯電話やパソコンやインターネットが普及し若い人を中心に人気がなくなっています。
 私は熊本に住んでいた時から35年間アマチュア無線を楽しんでいますが、もっと若い人にアマチュア無線の楽しさを知って欲しいと思っています。

 計画では6月2日土曜日に球磨郡深田を訪問し無線の移動運用をする予定です。
天気が良いといいな〜と思っています。

子供達からの返事

Aさんより

 メールありがとうございました 私は、無線とは聞いたことがありませんでした。でも、無線家のおじさんが教えてくれたので、無線のことがわかりました。無線家おじさんが35年間もやっているなだから楽しいんでしょう。私も、一度無線をやってみたいです。
6月2日晴れるといいですね。

Bさんより

 今日は、メールは、ありがとうこざいました。(^O^)
私は、6年の(B)と言います。メールに、〔無線家〕とありました。私は、したことが、ありません。一度してみたいです。
今度来られるときは、一度小学校に寄ってみてください。

他数人の子供達からの電子メールが届いた。
上手く行けばこの純朴な子供達と会えるかもしれない。

第2章 忘れ物

 JR1MXX/高橋さんは会社クラブの先輩でアンテナ作りが得意であり特にアストラルプレーンの大家なのであるが、隠されたもう一つの趣味がある。それは録音なのだ。
 グループで移動した大島移動や単独で移動した昨年の熊本移動も交信の様子を録音テープに収録して送ってくれる、有り難い先輩である。
 今回も録音してくれるかもしれない。それならお返しをしようと考えて、私も小型のテープレコーダを持って行く事にした。

 交信の内容を録音するのが目的であるが、旅行中の色々な音を録音してみた。モノレールの車内案内、空港ロビーの案内、試しにセキュリティチェックのX線装置の中もテープを回しっぱなしにして通した。
ゴトゴトとローラの上を通る音が録音されていた。

 羽田空港のバスの中でもデジカメで撮影したり、録音テープを回したりと大忙しだった。
 エアーバスの大きなエンジンを撮影した後、最後の乗客としてわざと足音を立てながらタラップを登った。
テープに「コツコツコツ」と音が残っているはすだ。

 機内は網棚に荷物を上げたり新聞を配ったりとごった返していた。
荷物を網棚に上げようとして気が付いた。
「あれっ!ない、ない、ない、大事なパソコンが入ったバックがない!」
「スチュワーデスさんバスの中にバッグを忘れたようです」
「前の扉がまだ開いていますのでそこへ行って」と言われ急いで歩いて行くと「バスの中に忘れ物を、、、」機内アナウンスが始まりかけていた。

「忘れ物は私です」「此れですか?」と係員の手にいつも使っている緑のショルダーバックがあった。

第3章 松橋町

 熊本空港には羽田空港混雑のため20分遅れて到着。天気は晴れ梅雨入り前なので空気も乾燥しており爽やかであった。

 松橋の家ではさっそく室内犬「ランちゃん」の猛烈な歓迎を受けながらカンビールで喉を潤し昼飯を食べた。
 昼飯の後はモービル移動の準備として車のバッテリーの引き込みとアンテナ基台を取り付けた。
 その後常置場所用のアンテナを設置した。
 ポールは4mの物干し竿3本を繋いで作るのだか、親父も畑仕事を中断して手伝ってくれた。
 G5RVは300Ωのテレビフィーダで給電し、下にオートアンテナチューナを設置する。

 設営が終わって試験電波を発射してみるとSWRが安定しない。
これは変だ。チューナを調べてみるとアンテナの接続端子が緩んでいたため、慌てて部屋の中へ取り込み分解してチューナ内部の端子を締め直した。
再度設置しなおすと今度は大丈夫だ。

 晩飯だ。親父とお袋にビールを注いで乾杯をした。
三脚にデジカメを付けて撮影すると「これがデジカメかい」と親父が興味を示す。
 親父も写真は昔から好きで、私が小学生の頃オリンパスぺンを購入し時々貸してもらった事がある。
「これはパソコンがいっとだろ」
「うんパソコンで画像処理して印刷も出来るヨ」
「パソコンば買いに行こうか」と言うと「いやもうよか」と言う。
「あと10年わっかったらな〜」と残念そうな声が出る。

 親父も囲碁や盆栽、最近はハーモニカの会等で忙しくしているので無理に進めるのは止めにした。

 20時過ぎにリグの前に座った。21Mは静かであったため7.060でCQを出した。
 CQとはアマチュア無線で不特定多数の相手を呼び出す言葉で、
「CQ CQ CQ こちらは JA6GRC(自分のコールサイン)」
と送信すると誰かがそれを聞きつけて応答してくれるのである。

 北陸,中国,関東,四国エリアと呼ばれ7Mのコンデションは全国的に開けていた。9局目に会社クラブの仲間JH1MKU早武さんから声が掛かり、無事到着を報告した。

その後は親しくして頂いているJA6FPZ(also JQ2PYB)豊野町の吉田さんだ、
 その後も7N1CYB北村さん、JH1IED須藤さんJL3ITX橋本さんと仲間から声が掛かり明日からの移動の激励を頂き、22:53の交信を最後に床についた。

第4章 球磨郡上村

 5時に起床6時に出発した。
 コンビニでサンドイッチと弁当とお茶を2本購入し松橋インターから高速に乗る。梅雨入り前の爽やかな朝のドライブは快適だった。
二年前に運用した山江サービスエリアを通過し人吉インターで高速を下りる。

 球磨川に沿って県道33号線を東へ走っているとJA6FPZのCQが聞こえた。
車を路肩に止めてモービルホイップを7Mのコイルに変更した。
「吉田さんオハヨウ、こちらはJA6GRCモービル球磨郡」
「岡村さんおはよう、モービルにしては良く入っているヨ」とレポートを頂く。
上村に向かっている旨説明すると周波数を確保しておいてくれるとの事。
「もうじき上村がこの周波数に出る予定です」
とPRしてくださる吉田さんのQSOを聞きながら車を走らせた。

 上村に到着し、予定していた宮川内公園を探すもそれらしい場所がない。
付近を車で二周したが見つからず、諦めて近くにあった神社の駐車場で運用する事にした。

 いつもの7MダイポールのTVフィーダ給電チューナ付を設営し、パソコンを立ち上げて吉田さんに声をかけた。
「待たせてゴメンナサイ運用場所の選定に時間がかかってしまいました」と送った。

 吉田さんとの交信では気が付かなかったが、ジージーと言うノイズが気になる。
我慢して続けてみる事にした。
 7Mで30局くらい交信し、8時20分に21Mを聞くと少し開け始めていた。
21.160でCQを出すとJR1MXX高橋さん7K2XEA植田さん7N1CYB北村さんと声が掛かり待って頂いた様子だ。
3局と交信するもジージーと言うノイズが強く後が続かない。

 しかたなく10Mにて電信の運用をする事にした。
10MでもJH9DRX谷口さん、植田さん、須藤さんよりコール頂き1時間で70局と交信出来た。

 あまりにもジージーと雑音が強いので運用場所を変えようと、パソコンの電源を切るとジージー音がピタリと止まった。

 パソコンの電源は車のシガーライターからDC12Vを取り出し、インバータで一旦AC100Vに上げた後、スイッチング電源でDC15Vに落としているが、この仕掛けからノイズが出ている事が分かった。
パソコン内臓のバッテリ運用では1時間半しか持たないので今回は紙ログにて運用する事にした。

 10時になり再度21Mを聞くとかなり開けていた。
21.165にてCQを出すと須藤さん北村さん早武さんJH1UYV本沢さん7L3DGP柿原さんと皆さん強力な信号で入感した。
「こちらは7L3BZV」とYLさん(ハムの略号で娘さんの意味)の声が聞こえた。早武さんの娘さんだ。
お声がけのお礼と掲示板にまた書き込んで下さいとお願いをした。

 BZVさんの後はパイルとなったが、パイルの中、先輩JP1LKG木村さんより声をかけて頂いた。
21Mで30局ほど交信し10時30分となった。

 このEスポは午前中は続きそうであったので思い切って此処で切り上げて次の運用場所に移る事にした。

第5章 球磨郡深田村

 アンテナを撤収し深田村へ向かう。
途中の看板をデジカメで撮影したりしながら朝来た道を戻った。

「あれれっ!」くま川鉄道免田駅前に出てしまった。
道を間違ってしまったようだ。気を取り直して深田村へ向かう。
 球磨川の堤防が見えてきた頃、50Mにて関東エリアが強く入感して来た。よし深田村は50Mで始めようと考えながら先を急ぐ。

 球磨川の橋を渡り右折すると深田小学校がある。
メールをくれた皆はここにいるのだなと思いながら小学校の前を左折し目的の運動公園に到着した。

 テニスコート横の駐車場に停車。

「ポーン、ポーン」と玉を打ち返す音を聞きながら移動用に作成した50Mの2エレメントのHB9CVアンテナを4.5mのポールに設営した。
 11時10分「CQこちらは球磨郡深田村移動局」とCQを出す。

6mマンのJG1OPH奥積さんや、JA1BUQ力石さん、JO1WZM野本さんとJAGメンバーもパイルの中お声がけ頂いた。
25分で40局ほど交信し21Mに下りることにした。

 50Mのアンテナを下ろしワイヤーアンテナを設営するのに約10分かかる。
11時48分に21.165にてCQを出すと待ってましたとばかりに須藤さん北村さん高橋さん本沢さん野本さんと声がかかり12時4分にJA1CKE星野OMの強力な電波が飛び込んできた。
 続けて植田さん早武さんとご声援頂いているほとんどの方と交信成立し50Mと21MのEスポを堪能する事が出来た。

 深田村の撤収は12時30分、昼食の時間帯でありテニスコートには人影がなくなっていた。ひょっとすると深田小学校の生徒さんが見学に来てくれるかなとキョロキョロしながらアンテナを撤収。

 土曜日の12時半はまだ学校なのだろう。学校から少し離れた場所なので難しいのかなと思った。

第6章 球磨郡五木村

 コンビニの弁当を食べ五木村に向かった。
途中の十字路に深田村の幟が立っていたので記念撮影をする。

 五木村へは球磨川の支流である川辺川に添って球磨盆地を北上することになる。
 整備された立派な道路が山の中腹を貫いて走っており、そろそろ五木村だと考えながら走っていると道路右手の山側に広大な住宅造成地の工事が進んでいた。
五木村にダムが出来る予定で、村人移転のための造成地だと分かった。

「子守り歌公園は何処ですか?」と聞いた。
「この道を下に降りるた所にあるよ」と日に焼けた造成地工事の人が教えてくれた。
 急な下り坂を下りると車一台がやっと通れる道があり、これが昔からある村の道なんだなと納得する。

 子守り歌公園はすぐに分かった。

 土産物屋が2軒あり、駐車場がある。母親と子供の彫刻には「ママ会いたかったヨ」と現代の言葉で題名が付されていた。

 五木の子守り歌の記念碑の前に立つと探知器が作動し子守り歌が自動的に流れるしかけになっていた。

 哀愁をおびた正調五木の子守り歌を聞いた。
 よしこれを録音して高橋さんへのお土産にしよう、と車へ引き返しテープレコーダを取り出したが、はたと困った。
 120分テープが1本入っているが先ほどの深田村の運用までに使い切っていた。録音テープはないかと土産物屋に聞いたが「ありまっせん」との返事だ。仕方なく朝方の雑音が多い部分を潰して録音する事にした。
 山奥の村だけあって子守り歌の合間に遠くで鳴くウグイスの声が混じった。

 時刻は14時を回っていた。子守り歌公園は切り立った山に囲まれておりアンテナを張る場所もなかったので中腹の造成地に引き返す事にした。

 五木村全体が見渡せる展望所がある。そこの手すりを利用してアンテナを設営した。
 21MをワッチするとJA1ZI小池さんとJR1MXX高橋さんの交信が聞こえていた。
 21Mにて14時28分CQを出すが混信が激しい。1局交信の後空き周波数を探した。14時40分に再度CQを出す。
40分で30局と交信。パイルとはならず五木村ではCQを出す場面が多々あった。
15時30分から16時まで電信の運用をし五木村を撤収した。

 帰りは県道25号線を利用し山越えで宮の原町へ抜ける事にした。
大雨のシーズンは恐くて通れない道路だ。今にも崖ぐずれしそうな場所があった。
 大通トンネルを越えると道幅が1車線になり、崖崩れで壊れた道路を大規模に修復している工事現場の中を通ったりして山を越し、明日運用予定の東陽村を通過し宮の原へ出た。
宮の原から松橋は近い。途中小川町でガソリンを補給し家路についた。

第7章 松橋町常置場所(1)

 親父は植木に水を撒いていた。お袋はすり鉢で料理を作っていた。
風呂に入りビールを飲みながらデジカメで今日撮影した画像を親父に見せた。
「うんきれいかネ」テープに取った五木の子守り歌も聞かせた。
デジカメをランちゃんに向けると「ウ〜」と言って警戒し後ずさりする。
少しもじっとしておらずシャッタは押してみたものの全て失敗作品だ。

 夕食後 19時20分よりリグの前に座った。九州は日が暮れるのが遅くこの時間もまだ外は少し明るい。

 21.160で何局か交信した所で会社の先輩JA1PTK高草木さんから声が掛かった。移動の案内を見て頂きワッチして頂いたとの事。明日は高草木さんも6mでの移動を計画しているとの事であった。
 21時まで運用し明日の移動のために早目に就寝。

第8章 下益城郡砥用町

 移動二日目 今日も爽やかな天気のなか、松橋町から国道218号線を東へと走る。
昨年村から町に昇格した豊野を通り過ぎ中央町を通り過ぎると石橋の町砥用町だ。

 緑川ダムの周辺一帯が広い公園となっておりオートキャンプ場やバンガロウ等がある。
移動運用はピクニック広場の駐車場を利用する事にした。

 アンテナを設営中に公園管理の車が通り、胡散臭そうに見られるも、何も言われなかったので安心する。緑の芝生と色鮮やかなツツジに囲まれての運用だ。
 7時30分にはアンテナを設営完了しサンドイッチを食べながら無線機のダイヤルをぐるぐる回しバンドコンデションを探る。

 21Mが開くにはまだ少し早いようだ7Mと18Mで暫らく運用した。
7時50分そろそろ21Mがオープンするかなと21.166でCQを出し始めるとさっそく声をかけて頂いたのはMXX高橋さんだ。
 「二日目も宜しく」とお願いをすると、高橋さんからは「移動気をつけて頑張って」と激励を頂く。
 JR1EMO/松井さん、須藤さん、植田さん、早武さんとお声掛けが続きパイルとなる。パイルをかき分けて北村さん本沢さん星野さん菊地さんと仲間から声が掛かる。

 本社クラプの先輩JA7CVL/1佐々木さんから小山内さんがスタンバイしているかもしれないと情報を頂き「JA7ESQ応答ください」と送ってみたが入感はなかった。

 9時12分まで約50局と交信した所でコンデションが変化したため、9時30分に撤収し泉村に向かう事にした。
須藤さんより泉村が欲しいとの情報があり午前中に泉村に着きたかった。

第9章 八代郡泉村

 国道218号線を中央町まで引き返し国道443号線へ左折した。
「雨量が200ミリを超えると通行止めになります」との看板がある。
所々で1車線になる道路で標識も少なく、これは本当に国道なのかと心細くなる場所もあった。

途中からは道幅も広くなり、「ここから泉村」の看板があったので記念撮影をした。
 村境の峠を越して下り坂となり信号機のある集落を右折、トンネルを過ぎてすぐに左折し坂を下りた所に氷川ダムがあった。

 黄緑色の水面は来るべき豪雨シーズンに備えて低い位置まで下がっていた。
池の中ほどから白い噴水が上がっている。
 噴水と一緒に記念撮影をするが、三脚の高さの関係で水面まで写すことが出来ない。

 ダムの堤防を渡った所に矢山公園があった。
 ダムを見るための小さい公園であり樹木の枝振りを見ながらアンテナが張れるそうな場所に車を止めた。
 アンテナを設営して21.162MHzにて泉村移動のCQを出したのは10時57分である。強烈なEスポが発生しておりすぐに大パイルとなった。

 10分間で20局のペースで進む。須藤さんから11時03分に声が掛かり「泉村と交信出来て1アップして嬉しい、午後からは仕事なので東陽村は残念だが諦める」とのメッセージを頂いた。21Mで90局と交信後昼飯とした。

 コンビニ弁当を食べながら三脚に付けたデジカメでパチパチと運用風景を撮影する。
 食事の後は10M電信を暫らく運用し13時6分に泉村移動をクローズした。

 この時点で21Mをワッチしても何も聞こえて来ない。1時間前は蜂の巣を突ついたようなパイルアップであったが、今はダイヤルを回してもシーンとしている。
午後の東陽村のサービスが出来るのか心配しながらの撤収作業であった。

第10章 八代郡東陽村

 引き上げる時にはダム湖の噴水は停止していた。
東陽村は氷川沿いに山を下った所にある。

 二年前にも運用したが、その日は月曜日であったためか今回もリクウェストが多かった場所の一つだ。

 東陽村での一番FB(ハムの言葉でファインビジネスの略で素晴らしいとの意味)な場所は前回運用させて頂いた石匠館だ。この石で出来た博物館は素晴らしい。

 今回は趣向を変えて東陽村の運動公園に行く事にしていた。
役場の裏手にあるらしいのだが、役場の横の細い道路を上ってみた。
 暫らく行くとひな壇の住宅造成地があり左折左折と回り込んだ場所に体育館と運動場があった。

 人影がなく、こんな場所でCQCQとやると何者だと警戒される恐れがあったのでトイレだけ借りて別の場所に移る事にした。

 車のエンジンを掛けようとしたが、エンジンが掛からない。
あれ〜っ困った!
クラクションは鳴るのでバッテリ上がりではなさそうだ。
キーを抜こうとしてもキーが抜けない。

 落ち着いて調べてみるとオートマのシフトレバーがドライブに入ったままでスイッチが切ってあった。Pに戻すとエンジンが掛かった。
 最近の車は安全に出来ているものだと感心する。

 モービルには21Mのアンテナを設置してワッチしているがEスポは完全に消えていて静かである。運用場所を探してみる事にした。

 氷川添いに氷川の里と看板があり何だろうと行ってみると老人ホームであった。
氷川添いに細い道路があるがアンテナを張れそうな空き地はなかった。こうなると石匠館しかない。

 二年前の運用記とQSLカードを持って館長さんに挨拶に行った。
 前の館長さんから代られて新館長さんは父母の事をよくご存知の方であった。お茶をご馳走になりながら無線の話しや運用記の話しをさせて頂いた。
父母の仲人さんの話しが出たのにはビックリした。
 話し込んでいると何かの会合のお客様が見えられたので駐車場での運用許可を頂き車に戻った。

 アンテナを設営したのは15時15分。21Mはまたシ〜ンとしている。それではと10M電信を運用する事にした。

 開始10分後DE 7K2XEA(DEとはこちらはの電信略号)と入感し植田さんだ、VY TNX(大変有り難う)を送った。10Mは九州から北海道まで全国的に開けていた。電信で30局ほど交信し16時となったのでそろそろ開けたかと21Mをワッチするも、まだシ〜ンとしている。
 では7Mだ、7.059MHzにてCQを出すと九州から近畿エリアまでの局からお声掛けを頂く。

16時25分にやっと21Mが開けた。
 21.163MHzでCQを出したがさっそく応答頂いたのはJR1MXX高橋さんだ。
 後日高橋さんから頂いた録音テープには「周波数チェック」(CQを出す前の確認の電波)から録音されており待って頂いていた事がよ〜く分かる。

 本沢さん星野さん早武さんと北村さんより二日間ご苦労さんと労いの言葉を頂きながら此方からは感謝の気持ちを送っていた。
すると「こちらはJH1IED」
「あれっ須藤さんは仕事にいったのでは?」
「はい仕事が早く終わってちょっと前に帰ったのですヨ」と須藤さんとも東陽村でつながった事を喜び合った。

 館長から運用許可を頂いたのは閉館の17時までであった。
撤収時間を考えると16時50分が限度だ、終了時間を宣言しながらなるべく多くの局に東陽村交信をサービスした。
 アンテナ撤収後館長さんに挨拶に行き、全国の皆さんに呼んで頂いた事を報告しお礼を言った。

 東陽村から松橋町までは昨日と同じルートである。
モービルのワッチ走行では50Mが強烈に入感していた。

第11章 松橋町常置場所(2)

 家に着くなり庭先に車を止めて「踏みたてくん」を踏み4.5mポールに2エレHB9CVをセット。これは5分で組みあがるようにしている。
17時45分より50.162MHzでCQを出すとすぐにパイルとなった。

 「こちらは7L3KJV」あれっ何処かで聞いたことのあるコール、星川さんだ。星川さんは今50Mのアンテナしかないとの事でずっと50Mで待って頂いたとの事、ありがとう。
JA1KPB日野工場の浜田さん、JG1BIL府中工場に転勤された菊地さん、JA1KGY深谷工場の田島さんと各クラブのメンバーからも声が掛かった。
18時12分まで45局と交信。

 今夜は外食にしよう、と親父の運転で焼き肉屋に行く事になった。
近くかと思っていたが「美味い所に行くぞ」と車で20分ほど走った。なるほど駐車場は満車である。

 席待ち20分である。親父も付き合いが広く、美味い物食べ歩きで色んな店を知っているらしい。
コース料理を取るとミノやタン、カルビなどが並んだ。
 ビールで乾杯し店のお兄さんに頼んでデジカメで写真を撮って貰う。
行列のできる店だけあってなかなか美味い焼き肉であった。

 松橋に戻り21時より7Mと21Mをしばらく運用、二日間の移動で少し疲れたので早目に寝ることにした。

第12章 6月4日月曜日

 6時22分7MでJA6FPZ豊野町の吉田さんと交信「今日の午後遊びに行くからね」と伝えた。
 今日も50Mが開けそうな気がしたので裏庭にHB9CVを設置してワッチ体制を取った。

 トイレの換気扇の取り替えをし、親父の自慢のさつきをデジカメにて撮影した。
またお袋の趣味のパッチワーク作品を撮影したが、8畳の部屋に並べてはみだすほどの作品の数がある。

 親父のハーモニカの演奏も録音した。各調毎にハーモニカがあり、FmやDmとか全ての調子に1本づつ用意しているのには驚いた。
 最初の曲は荒城の月だ、なかなか上手い。
こうなるともっと性能の良い録音機が欲しいが、今回はしかたがない持って来たテープレコーダで収録した。

 11時20分に50MのEスポが出た。さっそく50.168MHzにて松橋町のサービスを始める。
月曜日であるがパイルとなり、15局目にJO1WZM野本さんからお声掛け頂く。
12時に「挨拶だけ!」と言いながらJA6ADA田中さん西部中学の先輩より声を掛けて頂いた。
「今日の午後吉田さんとアイボール予定です」と伝えると「宜しく伝えて」との事だった。
12時9分まで約40局と交信した。

 昼食後豊野町の吉田さんを訪問
県道に入る所で2mのメインで吉田さんから呼び出しがあった。
モービルで交信しながら道路を快適に走行していると、ここから小川町の看板があった。「あれっ吉田さん小川町の看板がある」
「岡村さん行き過ぎだよ」と引き返すはめになった。
 鳥居のある場所の先に右に曲がる道があり7Mのダイポールが見えて吉田さんの家を確認した。

 吉田さんのお父さんにご挨拶、今年で90才になられるが車の運転は現役で出来るとの事、達者なお父さんだ。お母さんも達者な様子だ。
吉田さんのリグで7Mをワッチさせて頂いたが、ノイズも少なく聞きやすいリグである。
 約束していたニフティマネージャをパソコンにインストールした。
パスワードの設定で少してこずったが何とか使えるようになり、デジカメで記念撮影し、予定があったので3時にお暇させて頂いた。

 3時半に松橋に戻り親戚を3軒回った。
19時より中学の時の同級会に参加、二次会は温泉に行くとの事、半信半疑で付いて行くと山中に櫓があり、とうとうと湯が湧き出ている。
1300メートル掘ったとの事だか同級生にもたいしたやつがいるなと思った。
 仮設の風呂桶に皆とつかったが良い湯加減である。
風呂の後は櫓に灯した裸電球の下で焼酎の酒盛りである。誰かが持って来たスルメの佃煮も美味い。

 三次会は竹崎組みの大工の坂本、郵便局の岡崎と私の3人で、坂本の奥さんの運転で飲み屋にいた。最後に握り飯と味噌汁を飲んだ事を覚えている。

第13章 梅雨入り

 何時に帰ったのか覚えていないが、玄関まで坂本と岡崎が送ってくれた事は覚えている。
楽しい同級会であったが、飲みすぎで頭が重い。
朝飯の後、車の配線を撤収する。

 今日も50Mが開けるのではないかと50Mは常時ワッチ状態にしていた。

疲れた顔をしていたのだろう、お袋が見かねて「ちょっと休んだら」と言ってくれたので少し昼寝をした。
眠っている時にザーッと雨の音が聞こえた事を覚えている。
 12時過ぎに親父が起こしに来てくれた。雨が上がったのでアンテナを撤収しようとの事だ。
 一眠りしたので少しすっきりし、親父に手伝って貰って小雨の中G5RVを撤収。荷造りをし宅急便3ケ口を埼玉へ発送した。

 16時20分の飛行機を予約していたが余裕を見て15時前に出発、今回はお袋も見送りについて行くとの事だ。
また雨が降り出して雲が低く垂れ込めている。
「こら駄目かもしれんネ」と親父か言う。熊本空港は台地の上にあり、視界が悪くなると欠航する恐れがあるのだ。取りあえず行って様子を見る事にした。

 熊本空港到着、案内を見ても欠航の表示は出ていない。
土産物を買い少し時間があったのでお茶を飲むことにした。
 お茶を飲みながら外の雨雲を気にしていると東京行きに利用する飛行機が到着したとの案内があった。
下りてくれれば出発は問題ない。

 機内では録音した交信のテープを聞きながら帰ることが出来た。今回も沢山の仲間からの激励と全国の皆様からのお声掛けに支えられての移動であった。皆さん有り難う。
 親父とお袋にも世話になったが何時までこうして甘えられるのだろう。
関東地方にも梅雨入り宣言が出ていた。

              JA6GRC also JF1RWZ 岡村 

                   

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