2000年熊本移動記

                  

 

                    JA6GRC 岡村 潤一

第1章 西暦2000年

 生きている内に2000年を迎える事が出来そうだが、途方もなく先の事だな、と子供の頃に考えたような気がする。
それから約40年経った事になるが、記念すべき年の元旦を会社で迎える事になるとは予想をもしていなかった。
 Y2K問題は大儀なくすぎ、アマ無線の世界では2000年を記念したアワードが企画され、飛び交う電波もにぎわいが出てきている。

 昨年は開局33周年記念として熊本移動をしたが、今年は西暦2000年記念とかこつけて熊本移動をすることにした。
 2000年だか
s1ら何かあるの?いや、ただ運用記の表題が2000年となっているだけなのだ。

 6月末の計画が7月になり8月になり4回目の計画変更をしてこの旧盆の移動を決定した。

 移動地は球磨郡にしようか天草郡にしようかと迷ったが、今回は要望の強い天草郡の御所浦島へ渡る計画とした。

移動の案内には「天草の南海に位置する大小18の島からなる御所浦群島。美しいエメラルドグリーンの海に囲まれた御所浦は、亜熱帯の植物が繁る自然豊かな町です。人と自然が共存するこの楽園には太古の昔から先住者がいました。巨大な躯体で陸上を闊歩していた「恐竜」。今、その存在の痕跡が御所浦で続々と発見されています。(御所浦商工会HPより)」と事前調査で探し出した情報を添付してメールを発信した。恐竜の化石の資料館もあるらしいので是非行ってみたい。

第2章 熊本へ

朝刊には台風9号が発生しており、13日頃九州から四国付近に接近するとの予報が出ている。まずいな〜、ちょうど天草移動予定の日ではないか、電子メールを開くと「台風が来ているが安全第一で」と励ましのメールが何通か来ていた。

 皆さんに期待されているので何とか今回も成功させたい。 「愉快な仲間たち」のHP(ホームページ)の掲示板へ「これから出発します」と書き込んで16時5分南桜井駅より東武線に乗った。

春日部で乗り換えた東武伊勢崎線の電車には、夏休中の子供達がプール帰りの様子で大勢乗っている。背広姿のサラリーマン数名が客先からの帰りであろうか雑談をしていた。

ワーイ夏休みだ!と叫びたくなった。s2

 今日と明日が下り便のピークなのであろう、羽田空港国内線出発ロビーは夏休みを故郷で過す帰省客でごった返していた。

 熊本地方の天候は晴れ、気温31度と案内が出ている。昨年は熊本空港に降りることが出来ず福岡へ迂回したが今回はは問題なさそうだ。

 熊本空港に20時40分に到着、今年74才になる親父が迎えにきてくれていた。松橋町竹崎の田舎には21時到着、お袋と室内犬の「ランちゃん」が出迎えてれた。

生後数ヶ月の二代目ランちゃんの、もうれつなジヤレツキの歓迎を受けながらの晩飯は、オロシニンニクをたっぷりと付けた馬刺しである。ビールが美味い。

11日金曜日はQRVしません、と案内には書いておいたが、翌日朝の運用するために23時より仮設のアンテナを張り、23時15分より運用。

最初のCQに応答頂いたのはJA1VBN花澤さんだ。QSOの後にメールを頂いたが、リグはFT101FX、アンテナは軒下のロングワイヤーとの事。花澤さんのHPへは以前に何度かお伺いした事があり、9R42のレストア記事が素晴らしいと思っていた。これからは気に入ったHPの作者のコールサインをハムログのユーザリストに登録することにしよう。30分で5局と交信しQRTした。

第3章 富合町から熊本クラブへ(00.8.12)

 12日土曜日。移動の準備をし、午後からは熊本クラブを訪問する予定である。

 朝5時に起きて7MでCQを出していると5時34分会社クラブメンバーのJN1NDH/大平さんが声を掛けてくれた。「YVTメンバーでは一番です」とメッセージを送った。40分運用し12局交信。

 朝の涼しい内にと6時より移動のために車のバッテリーの引き込み配線とアンテナ基台を取付けた。常置場所用のアンテナとしてはG5RVを設営した。

 もう一つ涼しい内にと朝食前に墓掃除に行ったが、夏の墓掃除は雑草とりが大変である。親戚の初盆のため、竹を切ってきて提灯を吊るす仕掛けを作った。掃除が終わり、墓の改修をしたとの事で、親父は裏へ回り扉の開け方と骨壷の配列を説明してくれた。

 午前9時墓掃除から戻り21Mを覗くとEスポが発生していた。CQを出していると力石さんと早武さんからお声がけがあり、これから富合町移動をする旨を伝えた。

 富合町は松橋から車で約30分、熊本市内に行く途中の寄り道である。短時間の運用のため事前の案内には書いてはいなかった。

 ー 都を追われこの山に居城を築いた鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)が、自慢の剛弓で山の上を飛ぶ雁を射落としたため、恐れをなした雁がこの山を迂回して飛ぶようになった。 ー

という豪快な伝説のある雁回山、その山の頂上近くにある雁回公園へ行った。

 いつもの7Mダイポールもどきを設営し10時58分に21,166にてCQを出。早速お声がけ頂いたのは力石さん。1年と2ケ月掛かったが、まずは1つ目の約束を果たすことが出来た。

 続けてJH1MKU早武さんからお声がけ、「関東は台風が接近していて故郷の長野移動をどうするか悩んでいる」との事だった。台風は東よりに進路を変えていた。お互いの健闘を願ってファイナルを送る。後18局と交信して富合町を後にした。

 熊本博物館は熊本城の北側にあり、13時少し前に到着。博物館にはJF6MIT宮川さんが待っていてくれた。二人の子供さんを連れて、これから天草の実家へ帰る所との事、わざわざ時間を作って来てくれたのだ。3階の研究室へ行き、カギの返し方を説明して貰った。折角だからと通りかかった守衛さんを捕まえてシャッターを押して貰って記念撮影をした。

 「天草はお盆は道路がこみますネ」「いま5時間掛かると言ってましたヨ、時間があれば坂田さんや橋本さんにも会いたいのですが」との事であったが、遅くなると更に道路混雑が予想されるために待たずに出発して頂く事にした。

 JA6ADA/田中さんとJA6GDH/坂田さんが2時頃到着。饅頭を食べながら昔話しに花をさかす。田中さんも坂田さんも松橋町の出身で同じ西部中学を卒業した仲間だ。田中さんは体が不自由な中、医者の指導でバスに乗ってきて頂いたたとの事。

坂田さんは電信専門であったが最近マイクを買ったとの事。和文電信党の坂田さんが、なぜ?と聞くと、「最近SSTVを始めたのでしかたなくマイクを買った」との事だった。

JA6FEM/橋本さんは帰省の日取りがずれていたため会うことが出来なかったのが残念である。

 JH6YKC熊本アマチュア無線クラブでは21Mを運用、弱いEスポが出ていてJL1OVB/国原さん他12局と交信した。

 松橋へ帰るとお袋が団子を作ってくれていた。からいも(熊本ではサツマイモの事を唐芋と言う)の上にアンコをのせて小麦粉の皮で包んで蒸したものだ。「いきなり団子」と言う、その形を見てもこんな団子が昔あったか記憶になかったが、子供の頃の味は脳の片隅に記憶されていた。食べて見て思い出す懐かしい味だ。

 夜、松橋常置場所にて19時より運用。JH1IED須藤さんはJAGの仲間でAHCクラブの会長さんだ。須藤さんを皮切りに沢山の方から熱いバイルが始まった。パイルの中から、JH1MKU早武さん、JN1KKI井上さん、JR1MXX高橋さん、JG1BIL菊地さん、JA1PTK高草木さん、JA7CVL佐々木さん、JA1LHH古澤さん、にお声がけ頂く、会社クラブの仲間だ。JA1BPG岩本さんは私のローカルのOMさんだ。皆さんありがとう。

 22時30分になってもバイルが止みそうになく、明日の移動を考えて「あと10分で終わります」のQRT宣言をして後ろ髪を引かれる思いでQRT。

第4章 天草郡龍ヶ岳町(160局)

 8月13日日曜日いよいよ天草移動の開始だ。

 「お盆の時期で天草パールラインが大混雑するぞ」との親父からのコメントがあり、朝5時に松橋町を出発。国道266号線を走ると昨年の台風で高波の被害があった松合を通過。新築中の家が見え、復興が進んでいるようだ。三角町から天草パールラインへ進む頃だいぶ明るくなってきたので車幅灯を消した。

 真夏の空、真っ青な海s3、点々と浮ぶ島は緑の帽子を被っていた。時間帯が早いので渋滞もなく龍ヶ岳町に7時すぎに到着。フェリー乗り場を確認し運用場所をさがした。

7Mのダイポールもどきを張りダイヤルを回すとまだ7時半を過ぎたところなのだか21Mで1エリアが強く入っていた。 これは付いているぞ、とさっそく21.165MHzでCQを出した。 後で聞いてわかったのだが菊地さんと高橋さんが7Mで周波数確保して頂いていたとのこと、気が付かずにごめんなさい。

 日が段々高くなるにつれ、車の中が熱くなってきた。フロントガラスとサイドガラスに銀紙の日よけをセットし、クラーラをかけながら運用した。

7N1CYB北村さんは昨年も移動を追い掛けで頂いたが「今年も宜しく」と挨拶。7K2XEA植田さんに8時46分にお声がけ頂く。「QSPありますか?」「BUQさんがまだなんです」「わかりました有線してみます」とパイルの中お願いした。須藤さん国原さん高橋さん早武さん星野さん野本さん木村さん柿原さんとパイルをかき分けて仲間から声がかかる。力石さんから声が掛かったのは9時54分であった。10時を過ぎた頃植田さんからブレークがあった「BUQさんに電話したけど出ないよ」「ちょっと前に交信できましたヨ」植田さん有り難う。

その後も菊地さん古澤さん竹中さんSSM/岡村さん北陸の谷口さんと会社クラブやJAGの仲間が声をかけてくれた。

 11時20分にCQに空振りが出た。「お声がけなければ撤収します」のアナウンスにMXX高橋さんが「ご苦労さん」と励ましの言葉を送ってくれた。今日これからの予定を連絡し「元気でやっている旨を掲示板に書いておいて下さい」とお願いした。

 久しぶりの大型Eスポで、1エリアから0エリアまで160局と交信。4時間でAJDが完成だ。

第五章 天草郡御所浦町(201局)

 13時20分龍ヶ岳町大道港よりフェリーに乗り御所浦島へ向かう。

 s4天候は快晴、暑いが、海風が気持ちよい。大小の島々が真っ青な海に浮んでいる中をフェリーは快適に進む。

島に着いて、まずは島の頂上、烏峠(442m)に登った。360度のパノラマで御所浦諸島や天草の島々が一同に見渡せた。

高い所に登るとなぜか6mに出たくなるものだ。車のホイップアンテナを使いCQを出すとJL6HXC/6上さん鹿児島加世田市モービルからお声がけ頂いた。ファースト御所浦であり、今回の移動で唯一の6mによる交信であった。

港前に開発センターがある。その中に白亜紀資料館があり、300円なりを払って入場。

客は私一人であったので三脚とセルフタイマーを使って恐竜とのツーショットを数枚撮影した。これを今回のQSLカードにする予定だ。

開発センター前のテントでハンマーの貸し出しをしていた。100円を払って化石発掘用のハンマーを借りた。

「何処で採れるのですか」と聞くと港の東側を指差し「赤い屋根の所だよ」、「案内するヨ」と親切にも現場案内してくれた。s5

 「ぶつぶつと穴の空いた石を探して下さい」と化石の入っている石の探し方を説明してくれる。穴の空いた石はそこら中にごろごろしていた。手に取ると表面に化石が見えている。ハンマーの尖った方で割ろうとすると、「違うんですよ、平らな方で叩いて下さい」と石の割り方を説明してくれた。
「ここの化石は何年前ぐらいですか?」石を割りながら聞くと「9800万年前です」、「あ〜約1万年前ですネ」「いえ約1億年前です」ケタが4つ違っていた。今この手に持っているこの貝の化石は約1億年前にあった化石で、恐竜が闊歩していた時の物。2000年も凄い年だが9800万年とは途方もなく大昔である。 私のようなずぶの素人にも親切に対応してくれた方に感謝。御所浦に来て良かったと思った。
説明してくれた方にお礼を言ってハンマーを返しに行った。「採れましたか」「採れましたヨ」テントの方にもお礼を言って宿へ向かった。

宿には予約の時に無線をやりますと言ってあった。3階建ての3階で端っこの部屋であったが、窓を開けてガッカリした。前に細い道路があり、その前に建物が建っている。どう見ても7Mツェップアンテナが張れそうにない、困った!

一服して考えた。そうだひょっとして、と階段を上ってみた。物干のある広い屋上があった。フロントへ飛んでいき「屋上にアンテナ張って良いですか」このホテルは60過ぎのオバアチャンが仕切っているが「ああいいよ〜」と許可を貰いさっそくアンテナ設営を開始した。

s6屋上に風呂があるが、ラッキーな事に私の302号室の真上に男風呂があり手すりがあった。隣りの301号室だと女風呂であり、覗きと間違えられるところだ。7Mのツェップを張り終わると汗だくだ。一風呂浴びて、まずはビールを一杯。この喉越しがたまらない。

 晩飯前にSSBで出ると飯が食べられなくなる恐れがあるためCWで出ることにした。普段呼んで頂けない方からもお声がけがあったが、これは星野OMよりIOTAのメーリングリストに登録してくれた事を後で知った。感謝。

 夕食は7時から1階の食堂だ。家族連れやグループ連れの中、一人ぽっちの食事だが、無線仲間が待っていてくれると思うと寂しくはなかった。タイと車海老の刺し身が美味い。大きなイサキの煮付けもあぶらが乗っていて美味い。

 夕食を済ませて、まずは21Mを聞いた。21.164で聞きなれた声が飛び込んで来た。菊池さんと高橋さんが周波数を確保し待っていてくれた。その後早武さん力石さんと続き皆さん待っていて頂いたようだ。その後2局と交信すると21MHzは聞こえなくなった。

 それではと7MのSSBでCQを出すと、IED須藤さんやXEA植田さんから「回り込みが発生しているヨ」とのレポート。そう言えばSWR計の針の動きが不自然だ。

 時刻は20時30分。色々調べたが原因が分からず屋上へ行きアンテナをツェップからDPに変更した。部屋へ戻り、リグ電源とチューナの配線を整理した。21時10分須藤さんを呼び出してみた。今度は正常とのレポートを頂く。このまま7.064MHzをお借りしCQを出した。すぐにパイルとなり分1局から2局のペース近くまで上がる。植田さんからもブレークがあり「回り込みがなおっているヨ」とのレポートを頂く。有り難う、須藤さん植田さん。

 21:25JA1CKE星野さんから声が掛かり、パイルの中1分間の交信で励ましの言葉を頂く。有り難うOM。

 22:06パイルが修まり「お待ちの方いますか?」を出すと須藤さんが声を掛けてくれた。まだ十分に強い信号だから続けて!との事であったが、少し休憩する事にした。本日3本目のビールを頼み、掲示板へお礼でも書き込もうと室内の電話で0発信をしたが発信音が聞こえない。フロントのおばさんへ聞くと「外線はだめなんです」、と言いながら指差されたピンクの公衆電話には通信用のコンセントが挿せるような所はなかった。

 パソコンのPHS通信カードもランプが点燈せず、インターネット接続は諦めざるを得なかった。7MCWでしばらくサービスし早目に寝ることにした。

第六章 御所浦二日目

 8月14日月曜、御所浦二日目は5時半に目が覚めた。7Mをワッチすると7.060で早武さんの声が聞こえている。

s7JI1YPD/1多野郡上野村をサービス中でパイルになっていた。「こちらはJA6GRC/6御所浦」と声を掛けてもとって貰えない。しかたなく7.065でCQを出したが、昨夜のようなパイルにはならない。6:50よりCWに切り替えた。2局目に「DE JA1CKE」星野さんだ「VYVYTU」とVYを余計に送り感謝の気持ちとした。7時より10Mに切り替えて運用。7時20分より朝食だ、新鮮な小あじのから揚げが美味い。

8時に部屋へ戻り期待を込めて21Mへ切り替えた。21.165MHzで聞きなれた声が入ったJR1MXX高橋さんだ、56−55のレポート交換、LKG木村さんもスタンバイして頂き55−55のレポート交換をした。8時10分を過ぎた頃から1エリアが59で入り始めた。ついてるぞ、このまま11時過ぎまで続いてくれれば良いな、と思った。宿には予め12時まで延長するかもしれないと言っておいた。

 JK1RJE小西さんJG1BIL菊地さんJI1YPD/1今朝ほどは振られた早武さんと仲間からも声がかかる。

しばらくは順調であったが9時10分を過ぎてからパッタリと応答が止まってしまった。Eスポが消えてしまったようだ。7Mを聞いてもノイズだけが入ってくる。10分間程ダイヤルを回しながら考えただろうか、結論は御所浦撤収だ。9時20分より撤収開始し9時40分にチェックアウトした。「お早いお帰りですネ仕事はうまくいったのですか?」「はい何とか終わりました有り難う」とお礼を言って宿を後にした。

 フェリーの時間まで少し時間があったので島の探索に出かけた。

御所浦島の隣りの牧島へは橋が架かっている。この橋を渡りアンモナイトの化石を見に行った。

アンモナイトの化石は四畳半ほどの建物の中でガラスばりの床の下を電気で照らして見る仕掛けになっている。とても大きなアンモナイトだ。その後、昨日化石発掘をした場所に行ってみた。

照り付ける夏の陽射しの中、数人がハンマーを持ってカツカツと石を割っている。年頃の娘さんが日傘をさしながらハンマーを持っている、その横でお父さんらしき人もコツコツと石を割っていた。その姿を見て早武さん親子を思い出した。

第七章 天草郡姫戸町(56局)

 12時のフェリーで龍ヶ岳町大道港へ戻り姫戸には13時に到着。

 予定より3時間早くなったが、お盆の時期で道路混雑が予想されるため13時〜16時までの運用予定と変更した。各バンド最悪のコンデションで7Mはノイズの中から近距離のみが聞こえている。s8

 仕方なく7Mで6,5,4エリア向けにサービスし、コンデションが上がるのを待っことにした。デリンジャー現象と思われるノイズの中、お声がけ頂く近距離の方の信号もノイズすれすれである。時間稼ぎもあってゆっくりと交信していた。

 3時半を回った頃、かぶりのQRMが強くなって来た。コンデションが少し変り始めた事を感じた。

 終了10分前に奇跡が起きた。突然「ブラボーユニフォームクイン」が聞こえた!「BUQチョット待って」と交信中のQSOを素早く切り上げ、10秒後、58-57で交信成立。2時間50分ワッチを続けて頂いた力石OMに感謝。

 力石さんとの2つ目の約束を果たすことが出来て大満足で帰路についた。あのコンデションの中、一瞬1エリアとのパスが開けたのは奇跡ではないだろうか。

天草パールラインは所々で渋滞したが、大渋滞にはならず6時過ぎに松橋に到着した。
「早かったね」、「うん、それほど混まなかったよ」、
親父お袋と3人で墓参りに行った。今年は提灯をつるしての墓参りであった。

晩飯は焼き肉である。

 ジュウジュウと野菜と一緒に肉を焼くが、親父がどんどん肉を乗せる。「自分が食べる分を乗せようヨ」「そうかい」と言って箸を休めるが、気がつくとまた山盛りの肉が鉄板の上で焼けていた。肉も美味いが玉ねぎが甘くて美味い。にがうりは子供の頃から苦手であり、試しにと食べてみたがやはり同じ味だった。

 21時リグのスイッチを入れた。7Mの空き周波数を探すのに手間取ったが7.068を探し21:50よりパイルとなった。22:12JR1MXX高橋さんより声が掛かり、移動を追い掛けて頂いたお礼を言った。姫戸も探して頂いたがコンデションが悪く残念とのメッセージを頂く、22:47まで運用しQRT。

第八章 お盆

 8月15日火曜 天草移動で疲れたのか目が覚めたのは7時を過ぎていた。

 ご飯と味噌汁に漬物が美味い。「しょいのみ」と言う甘さを押さえたモロミ(味噌)も美味い。昔は各家庭で作っていたが最近は作る人がいなく買ったものとの事だ。

 お盆でTおばさんが見え、親父と3人で墓参りに行った。
 墓からは熊本平野が見渡せるのだが、夏は桜の木の葉が生い茂りその隙間からちらほらとビニールハウスや稲が見えている。

 墓から戻り暫らく茶飲み話に付き合う。室内犬ランちゃんはお客さんが好きでおばさんへ歓迎のジャレマクリだ。
 こっちへおいでと無線室に連れ出しリグのスイッチを入れた。

8:34より21MにてCQを出す。数局後にこちらはJH1UYV/1本沢さんだ。行方郡麻生町で帰省先からのお声がけだ。9:02にJH9DRX/谷口さんとの交信の後、9:50JA1CKE/星野さんからお声がけ頂き、今回の移動の話しでしばらくラグチューをした。「全町村完成まであと一つとなりうまく行けば8月19日に完成する可能性がある」、との事で「ハムフェアの二日目にお祝い出来るかもしれませんネ」と話した。

その直後お声がけ頂いたのがJJ3DZU森川さんである。ハムログの黄色マークが2行点燈した。森川さんは東芝姫路工場の方でメールにて情報を頂いていたのでハムログのユーザリストに登録しておいたのだ。

 始めての交信をお互いに喜び合い、JH3YGWの姫路工場クラブコールでもレポート交換頂いた。こちらからもと思ったが、JI1YPDは早武さんが持って行っているし、JA1YVTはATQ/岡本さんより「持って行ったら!」、と提案があったが、今回は、と遠慮していまった。こんな事なら持ってくれば良かったと反省。しかたなく、お返しとしてJF1RWZ/6でレポート交換し、再会を約束してファイナルを送った。

 昼食はお寿司だ、ビールを一本飲み昼寝でもしようかと横になるが眠れなかった。
 無線室へ引き返しスイッチを入れるとまだ21Mが開いていた。13:11JH1IED須藤さんがCQを出されていたのでお声がけし天草移動のお礼を言った。

 14:38より10MでCQを出すと松橋町固定は珍しいのだ、パイルとなった。1分2局のペースでQRZのみでお声がけが続く。14:58「DE JH9DRX」谷口さんだ感謝の気持ちを込めてVYVYTUを送る。15:47切れ目なく続いたパイルが終わった。s9

夕方T叔母さんを家まで送っていった。叔父さんも達者で、キュウリの水やりからちょうど帰られた所であった。

日焼けした顔に傷がある。どうしたのかと聞くとキュウリの水やりで両手にバケツ2杯づつを持ったまま転んだとの事、あまり無理をせず気を付けて貰いたい。叔父さんは昨年の熊本国体まで柔剣道の理事を務め、その後は引退したとの事であった。

 叔母さんの家から戻りHPの掲示板を覗くとBIL菊地さんから「オンエアミーティンクをやりたいネ」との書き込みがあった。それではと21:00リグのスイッチを入れた。21Mは静かだ。7Mに行くとやけに騒がしい。韓国局のCQコンテストが聞こえる。7.060以上の周波数を使っているが出る隙間がなかった。オンエアミーティングは出来ず、22:30QRT。

第九章 撤収

 8月16日水曜 7時から運用したが21Mが開けない、しかたなく7Mを運用。

7Mも4,5,6エリアと近距離しか入感してこない。やはり8月中旬となるとEスポの発生頻度も少なくなると実感した。10時52分に今回の運用を終了 総交信数 764であった。

 車の配線やアンテナを撤収し埼玉へ宅配便で送りHPの掲示板へ皆様へのお礼のメッセージを書いた。

ー 皆様ご声援有り難うございました。

 今年も皆様の暖かい励ましに支えられての移動運用でしたが何とか当初立てた計画を実施することが出来ました。Eスポが終盤の時期であり心配していましたが、姫戸以外は満足しています。
昨年も姫戸ではEスポが運用途中に消えてしまい、お待ちの方へのサービスが出来ていませんでした。そんなわけで今年もチャレンジしたのですが、、、姫戸とは相性が悪いのかな?と思いました。 思い切って御所浦へ行って良かったと思います。海の上から見る天草の島々はとても奇麗でした。

 泊った宿の前では親子ずれが釣りをしていてバケツ一杯の小あじを釣っていました。入り江があり真っ青な海に小船が浮んでいました。何処から見ても絵になる風景であり、日本にもまだこんなに奇麗な海が残っていたのかと思いました。
 御所浦と天草本土との間に橋を架ける計画があるとの事、このままが良いなと思うのは私の身勝手な考えですネ。
 これから16時30分発の東京行きJALで埼玉へ帰ります。 ご声援いただきました皆様に御礼申し上げます。ありがとうございました。ー

              JA6GRC also JF1RWZ 岡村 

                   

jf1rwz@jarl.com


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